1180年(源頼朝の挙兵)に始まった源平の戦い後、屋島で敗れた平家の落ち武者が宮島から小瀬川の上流の山口県坂上村(現、岩国市美和町坂上地区)に逃れ、大字岸根(がんね)の白滝山に城を築き暮らすようになりました。
その一族の中に、接木の名手がおり、地元の坂上村と広島県栗谷村(現、大竹市)に在来種の栗に接木し、その方法を近くの農民に伝授したのが、がんね栗の原点となりました。
(Photo:がんね栗の古木)
大正2年「全国栗品種名称調査会」で510種の中から、「他に類のない優秀品種」として評価され、農水省の優良品種として誕生しました。
その際、審査員から名称を聴かれ、とっさに採種した集落名・岸根(がんね)と答えたために、この栗の品種は「岸根栗(がんねぐり)」になったと言われています。
また昭和8年には、「全国果樹共進会」で数百種の中から、十銘柄品種のひとつとして選ばれました。
日本で最も生産量の多い「筑波」や晩生種の「石鎚」など、岸根栗を祖先とするものが多く存在しており、和栗の元祖とも言えそうな品種ですね。
出典:果物情報サイト「果物ナビ」参照
がんね栗は晩生種で、例年10月5~10日頃を目安に収穫しています。果実は30g以上あり、栗の中では最大級の大きさです。
大粒でつややかな実は、甘みが多く貯蔵性があり、料理用にも向いています。
原産地“河平(こうひら)”産のがんね栗は、その中でも特に美味しいと言われており、自社の栗も河平を中心に生産しています。
JAで「やまぐちブラント」のひとつに登録されたり、地域商社を通じて菓子の販売をするなど、山口県を上げてがんね栗のPRにつとめています。
そんな中で設立した株式会社がんね栗の里は、平成22年に地域の特産「がんね栗」の現状を憂慮して有志5名で設立した「がんね栗の里を復活させる会」が始まりで、企業組合を経て現在の組織に至ります。
(Photo:梅雨時に咲くがんね栗の花)